2010/11/23

Haydn Edition 150CD



このボックスを購入した動機はアダム・フィッシャーのオーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団による交響曲全集。
でも、クチコミによるとバリトン三重奏など、バリトンを使用した全曲がCD112からCD131に収められていることが特徴だそうだ。





演奏したのはエステルハージ アンサンブル(上の画像)。
中央のバリトンがMichael Brussingさん、ヴィオラがAndras Bolykiさん、チェロがMaria Andrasfalvyさん。
ハイドンザールのステージの上から客席側を背にして撮影したものだね。

2006年~2009年、エステルハージ宮殿での録音。
演奏も録音も大変素晴らしいです。
2009年にこのエステルハージ アンサンブルがバリトンのハイドン作品を発売したことは画期的なことだったようで、このことはwikiにも紹介されていた。

下の画像はMichael Brussingさんのbaryton。





う~む、なんと美しい楽器なのだろう…


Barytonという楽器を知らなかったので調べてみた。
wikiによると、チェロと似た大きさで7本または6本のガット弦と9本から24本の共鳴弦を備えている。
そして、ガット弦は弓で弾き、共鳴弦は左手の親指で弾くそうである。
理解できないのでYouTubeを見てみると…






なんと、弓用の弦と共鳴弦と呼ばれるものが2階建てバスのように配置されているではありませんか!
youtubeでは共鳴弦がBメジャースケールだと説明しています。
Michael Brussingさんのbarytonでは、7弦で共鳴弦は10弦あるように見えます。
う~ん、これは大変な演奏技術が必要。
案の定、こうしたことがネックになってこの楽器は使われなくなってしまったそうです。









wikiによると
「バリトンの曲目として最もよく知られているのは、ハイドンがこの楽器を嗜んだエステルハージ侯爵の為に書いた175曲である。
これらのうち126曲は、ヴィオラ・チェロ・バリトンの三重奏である。
これらの曲は1766年から1775年まで、ごく初期に書かれた。
エステルハージ侯が愛用していたバリトンは、ヴィオラ・ダ・ガンバのように調律されていた。」







最近はボックスセットのCDばかり聴いている。
理由としては、探さなくてもいいからかもしれない。
箱だからすぐに見つかるというか、どこかにまぎれて出てこないということがない。
ボックスセットのリストをパソコンで検索すると小品でも発見が楽。

それからCDの解説は字が小さくて読んでられない。
そのためwikiや詳しいサイトでそうした解説を読んでしまう。
こういう解説ではその作曲家の他の関連作品についても解説していることがある。
セットものであればそうした関連作品をすぐに聴ける。

それから格安のセットにもかかわらず演奏、録音ともに優秀になってきている。
需給のバランスがほぼ限界なのではないか。
これが一番影響しているかも。




かわるがわる聴いている箱は…
ピアノ(50CD)、DHM50th(50CD)、カラヤン(38CD)、マーラー(11CD)、ショスタコービッチ(12CD)、ハイドン(150CD)、モーツァルト(170CD)、ブラームス(60CD)。
他にもあるけど、これだけでも足し上げてみると541枚もあるんだ。
ちょっとびっくりした。

という訳でボックスでしか買わなくなってきている。
ボックスセットの未収録曲はチェックしておき、"そのうち買いますリスト"を作ってあるが、買ったためしがないです。




曲より演奏重視というのが好きになれない。
レコード会社は売れる曲を売れる演奏家に依頼する。
同じ曲ばかりを異なる演奏家が演奏する。
同じ曲の異なる演奏を比較して喜ぶのがクラシックの趣味ということ。
レコード雑誌にそんなふうに躾けられてしまった。
考え方がオーディオ雑誌と同じだね。
マンネリになるのは当たり前。

根底にあったのは手っ取り早く売り上げを伸ばすこと。
それを続ければどんな商売でもダメになる。

赤い花と白い花、どちらが素敵か?
ということばかり問題にしているように装えば、
花と星はどちらが素敵か?
などということは誰も問題にしなくなる。

だからそういうクラシック趣味というのはおかしいと思ってる。
別の楽しみ方もあるということ。
レコード雑誌もそのうちなくなるしね。
それもあってボックスものを聴いているのかもしれない。


2010/11/21

Suntory Hall The 532th Popular Series

読売日本交響楽団の第532回名曲シリーズのコンサートに行ってきました。






指揮はシルヴァン・カンブルランさん。

前半はハイドン/交響曲第6番 〈朝〉、交響曲第7番 〈昼〉 、交響曲第8番 〈夕べ〉という3部作。
約40名という、この作品としては巨大なオーケストラ。
ハイドンを現代の音響環境に合わせてみる、あるいは、楽団の団員を一人でも多くハイドンで鍛える。
結果として、これはハイドンの時代には聴けなかったハイドン。
リッチな音ゆえになんだか庶民の音。

救いだったのは、ブラーボの声が飛ばなかったこと。
こういう音楽にはそんなのは似合わない。
貴族の気分で上品に拍手しようね。

後半はストラヴィンスキー/バレエ音楽〈火の鳥〉全曲(1910年版)。
約100名、100年前、そして100%のハイパワー。

火の鳥はオーディオマニア御用達の一曲。
クラシックを聴かないマニアでも大抵持っている。
色彩感が豊かで大迫力。
特に大型システムだと大変よく鳴る。
しかし、帰り道、口ずさんだのはハイドンだった。




朝昼晩についてもう少し。
小編成、打楽器がない等々、交響曲の原初の姿。
朝昼晩の3つの交響曲は同時期に作曲されたそうです。
完成度が高いというか、ユーモアを感じさせる部分さえあるという余裕、老練な作曲家を感じさせる作品。
しかし、ストラヴィンスキーもそうだけどハイドンも30歳前ですから驚き。

特徴的なのは朝昼晩の第3楽章がいずれもMenuet and Trioであること。
コントラバスのソロの中間部を備えています。
朝昼晩の第3楽章を聴き比べてみると、それぞれ題名のイメージが湧きます。
第3番、第5番の交響曲も第3楽章がMenuet and Trioですが、朝昼晩に比べると雰囲気は大幅に異なります。

晩の第4楽章にはthe Storm(嵐)との記載があるそうです。
この嵐の描写、楽しげです。
単純に連想される激しさや恐ろしさがない。
その代わり次の稲光や雷鳴をワクワクしながら待つという気分を思い出しました。

朝昼晩の旋律はとてもおだやかで美しく格調高い。
露悪や過剰な表現とは無縁。
控えめで一線を越えず、だからこそ深く共鳴できる。
軸足がハイドンに移ってしまいそうです。








指揮はシルヴァン・カンブルランさん。

前半はハイドン/交響曲第6番 〈朝〉、交響曲第7番 〈昼〉 、交響曲第8番 〈夕べ〉という3部作。
約40名という、この作品としては巨大なオーケストラ。
ハイドンを現代の音響環境に合わせてみる、あるいは、楽団の団員を一人でも多くハイドンで鍛える。
結果として、これはハイドンの時代には聴けなかったハイドン。
リッチな音ゆえになんだか庶民の音。

救いだったのは、ブラーボの声が飛ばなかったこと。
こういう音楽にはそんなのは似合わない。
貴族の気分で上品に拍手しようね。

後半はストラヴィンスキー/バレエ音楽〈火の鳥〉全曲(1910年版)。
約100名、100年前、そして100%のハイパワー。

火の鳥はオーディオマニア御用達の一曲。
クラシックを聴かないマニアでも大抵持っている。
色彩感が豊かで大迫力。
特に大型システムだと大変よく鳴る。
しかし、帰り道、口ずさんだのはハイドンだった。




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朝昼晩についてもう少し。
小編成、打楽器がない等々、交響曲の原初の姿。
朝昼晩の3つの交響曲は同時期に作曲されたそうです。
完成度が高いというか、ユーモアを感じさせる部分さえあるという余裕、老練な作曲家を感じさせる作品。
しかし、ストラヴィンスキーもそうだけどハイドンも30歳前ですから驚き。

特徴的なのは朝昼晩の第3楽章がいずれもMenuet and Trioであること。
コントラバスのソロの中間部を備えています。
朝昼晩の第3楽章を聴き比べてみると、それぞれ題名のイメージが湧きます。
第3番、第5番の交響曲も第3楽章がMenuet and Trioですが、朝昼晩に比べると雰囲気は大幅に異なります。

晩の第4楽章にはthe Storm(嵐)との記載があるそうです。
この嵐の描写、楽しげです。
単純に連想される激しさや恐ろしさがない。
その代わり次の稲光や雷鳴をワクワクしながら待つという気分を思い出しました。

朝昼晩の旋律はとてもおだやかで美しく格調高い。
露悪や過剰な表現とは無縁。
控えめで一線を越えず、だからこそ深く共鳴できる。
軸足がハイドンに移ってしまいそうです。









YouTubeにあった交響曲第8番 〈夕べ〉の第2楽章と第3楽章。
4:26からの第3楽章、まさかのホルン大爆発。
沈痛な面持ちの指揮者、団員の表情も険しい。
8:41のコンマス、あからさまだ。

この3部作はソロパートやソロ同士の掛け合いが多い。
当時ハイドンが副楽長を務めたエステルハージ家の楽団は名手揃いだったそうである。

コントラバスとチェンバロは並べて配置されている。
これは実に重要。
残念ながらこの録画からは聴き取ることができないが、このコントラバスとチェンバロの音色の混ざり具合が最高に美しい。
ウーファーとツィーターの配置に気を配るのと同じ。
コンサートでもこのような配置だった。
なお、ハイドンはチェンバロを演奏しながら指揮をしたという説もある。







ハイドンを調べてゆくとブラームスに行き当たった。
そこでブラームス作品大全集(60CD)の中古をアマゾンから購入。
中古と言っても未開封新品、但し箱の角がつぶれているというもの。

こうしたセットものは全部聴く必要などない。
1枚でも気に入れば、それでいいのである。
要するに60枚の中から1枚だけしか気にいらなければ、その1枚は4200円ということだ。
そして、ありえないことだが全部を同じように気に入れば1枚が70円になるというだけのことである。
気に入った音楽の値段など考えて、それが一体何になるというのだ?

この文章、デジャヴではなく、単なる使いまわしである。
しかも安かったことを自慢したいだけである。
すまん。