2011/01/18

QSC MHV-1090(2)

QSC SC-414のユーザーマニュアルを見ていると、MHV-1090には面白い仕掛けがあることが分かりました。
ミッドホーンの上縁に小さな穴があり、コンプレッションドライバーを支えている太いステーの側方にも小穴があります。
2つの穴を照準器として使用し、ホーンの水平方向と垂直方向を目標点に正確に合わせることができる、というわけです。
う~ん、これは賢い。






ユーザーマニュアルには、映画館等の典型的な使用例として、目標点は後列中央席にすることや、スクリーンのパーフォレーション(スクリーンにあけてある無数の小穴)を通して、目標点で点灯した懐中電灯の明かりを導入することが記載されています。






黄色いホーンシステムは移動式であるため、このような照準器は役に立つかもしれない。
しかし、リスニングポイントがその目標点になるのかは、やってみないと分からない。
実際の作業は、少し外側に振った方が、いやいや、極端に内側に向けるべき、などと様々なホーンの角度を試すため、このHMV-1090の照準器はあまり役に立たないかもしれない。

ふと思ったのだが、照準器ではなく、ホーンに固定した光源からリスニングポイント側へスポット光を照射するのはどうか。
照射範囲が比較的狭いLEDの懐中電灯をホーンタワーの軸線に沿うように取付けて、リスニングポイント側を照らす。
照らされた場所がホーンの正面になるというわけ。
こちらの方が現実的かもしれない。

しかし、ホーンタワーをジワジワと移動して懐中電灯で薄暗い部屋のあちこちを照らす作業、これはかなり不気味。
細野晴臣さんが言うようなやってみなくちゃ分からない大科学実験だとしても。
ここまでくると、ここまできてしまいました、という異常行動というか頭のおかしさが際立ちます。
う~む。







頭のおかしさと言えば、今どき大型スピーカーと付き合うことも含まれるのかもしれない。
大型スピーカーが部屋にあると部屋の光景は一変する。視覚的な圧迫感が凄い。
ある日、その頭のおかしな光景に愕然として大型スピーカーを処分してしまうのかもしれない。
しかし、部屋の隅やらクロゼットの中にスピーカーを移動できるようにしておけば、そういう悲劇を避けられる。

視覚的な圧迫感を解決するためにはトールボーイ型スピーカー(死語だね)を選択するというのも手だ。
8インチ程度のユニットを3つぐらい縦に並べたハイエンド系ばかりではなく、長岡教のネッシーなんかもそうだ。
しかし、こういうスピーカーでオーディオがなんとかなるとも思えない。

もう一つのやり方として広い部屋をリスニングルームにするという手がある。
しかし、視覚的な圧迫感は減るものの、スピーカーから遠ざかって聴くことになるのが面白くない。
視野角から言えばスピーカーから離れれば離れるほどスピーカーが小さくなってしまうのだ。
これでは何のための巨大スピーカーなのか分からない。

聴きたいときには眼前に巨大スピーカーが迫ってきてほしい。
しかし、うっとうしくなったときには隠れてもらいたい。
こんな風に考えるようになってから、広大なリスニングルームを望まなくなった。

オーディオをやるためのスピーカーとしてはJBL4344程度の大きさがほしい。
すると部屋の大きさは6畳が理想的だ。
それ以上大きな部屋ではスピーカーの存在感が小さくなってしまう。

4344程度ならクロゼットにでも収納できると思うし、スピーカーの上にアンプ類をのっけたまま移動できる。
家族が出かけるとショータイムの始まりだ。
帰ってきたらそそくさと片付ける。
これで十分だと思いますね。







先日、有名な趣味の獄道のホームページを読んでいると、池田圭さんの「音の夕映え」の抜粋が出ていました。
世代が違うこともあって池田圭さんのことはよく知らないのですが池田圭さんのことが好きです。
好きだから「音の夕映え」を入手して読むのがすこし怖い…

下界を眺める可からず
僕なども時々堕つることがあってオーディオ雑貨の批評を頼まれたりする。
その装置は普通のサラリーマンかなんかので、いわゆる趣味としてやっている程度のものである。
そういう人の多くはオーディオの他に自動車とかカメラ、或いはゴルフもやれば山登りもする、
いわゆる趣味がいろいろあって、女も好きである。
その上お酒も嗜むとあって僕の伺った家のリスニング・ルームなるものには必ずといっていい位飾棚の中に洋酒の瓶が置いてあった。
何時でも何処でも誰にでも買える程度の品を、何も飾るまでもないではないかと時には不憫の情を催すことがある。
女の子が好きでステレオが好きで、その他いろいろ名誉も地位も権力もお金も欲しい、隙があらば他人を蹴落としてでも出世がしたい。
こういう人の人生は一体どうなっているのだろうと思う。 
僕などはご存知の通りよる年波で、近頃はもう10年も若ければとよくそう思うようになった。
昔ならばさし詰め蘭でも育てている歳であろう。
よく人に60,70位はまだ若僧ですヨと言われるが、いずれにせよ僕などは昨日もオーディオ今日もオーディオ、日毎夜毎ハイファイ録・再を追求して休む暇もない。中略

いわゆる「趣味のオーディオ」の装置など聞いている暇は全くない訳である。
そうは言ってもこちらの方も音作りに半生を賭けて来たが、
ただそれだけのことで学識経験ともに豊かな斯界の権威者でもなんでもない。
レコードという皿を廻してその音を聞き続けてきただけの話である。
それをよく承知の上で喋るのだから、
気にくわぬ装置などに無駄な時間をとられると毒舌暴論その尽くるところを知らずという状態になる。
相手の方は雑誌などを読み漁って一応オーディオ知識なるものを身に着け、己の美的感覚から部品を選び出しているつもりである。
リスニング・ルームなども何かの雑誌のカラー写真に出てくるのによく似ているのが多い。
デザインだとかインテリアと言う言葉だ浮かんでくる。
まあ、そんなことは音に関係無いから好き勝手で、僕がとやかく言う条はない。
ところで音の方であるが、全く気に入らないのは殆どのオーディオ愛好家と称する人達が、最低域を無視していることである。後略







この文章を読んでいると頭のおかしいオーディオというのは意外と悪くないかもしれない。
そして、池田圭さんも眼前に迫ってくるのが好きだったのかもしれない。









15Aホーンの白い鎖線は、上の画像のようにsound axis、音の軸線を示しています。




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